感情を見ないようにする癖

『都合の悪いことを見ないようにする』癖ってある。

私は自分の感情を「都合が悪い」と無視することが頻繁にあった。
これって生活をこなすにはとっても便利。
モンダイなら解決しないといけないけど、「問題」でないならそもそもスルーできる(できない)。

さて、それを続けるとどうなるのか?

人生全体が致命的に不幸になるが、その影響が出るまでの過程がわかりにくい。

小さく積み重なって問題だと思った時には結構大変なことになってる系のやつ。

私を無視した時間の分だけツケは高くつく。

『大丈夫、これくらい大したことない』


私が無視しがちなのは「不快に思った感情」。

例えば、目の前で会話している相手から「不機嫌なもの」を察知した時、相手の不機嫌をどうにかするほうが先決だし、大事、みたいな感じのやつ。無視して流す。やり過ごす。あとで考えることもしない。

そうすると、どうなるか?
私の中から「自分の負の感情に気がついて何かする」と言う選択肢がなくなる。

例えば、不機嫌をぶつけてくる「不届き者」に対して、自分の気持ちを相手に伝えたり話したりって事もできるだろう(ぶつけたり、ではない)。でも、そんなことはしない。

自分の感情を後回しにするほうがずっと簡単な事だから。

そうしてやり過ごすうちに「やり過ごしている」自覚さえなくなっていく。

すごーい。(アカン)

「ああ、よかった、大丈夫、これくらいなら大したことない」

そして「それはともかく、目の前のより重要な問題を解決しよう」となるわけだ。

それを続けると何が起きるのか?

不快な感情がよくわからなくなっちゃう。
不快な感情を建設的に相手とシェアしたり解決する方法を学ぶ機会がなくなる。
どうしようもないストレスが蓄積していく。

人とおしゃべりすると疲れちゃうので、人との交流が億劫になったりな。

どうしたら「気がつける」ようになるのか

人に指摘してもらったり(コーチング)、難しい感情を抱えてしまった時どうしているかをお友達に聞いたり、「自覚はないけどもしかして?」というちょっとした心当たりから、まずは考えてみる。

自分が普通にやってることを正直に話すと、近しい相手なら意外と「そんなことしてるの?!」とか「考えすぎじゃん?」とか言ってもらえるもんだ。

気がつきたくないので、当然、いや、これは私には当てはまらないから違うかもな?という防衛的な反応もいっぱい出てくる。

でも続ける。

そう言うことの合わせ技をしているうちに、こりゃあ大変なことをしているかもしれないな、となる。

きっかけさえ掴めれば、自分にめちゃくちゃ酷いことをしている事実が見えるようになってくる。
「これくらい大丈夫」という内在化した秒速仕分け人が発するヤバい声も「聞こえるようになる」。

見えないもの、は、見ないほうが都合がよいもの。そして、それはだんだん見たくないもの、になることがある。
(何でそうなっちゃったのか、はなんか色々あるもんだ。それはともかく)。

見たくないものを見るのはすごく難しいから、自分にとって安全な方法で、一人ではない方法でそう言うものを見つけられたら楽しい時間が少しずつ増えていくんだな、と思う今日この頃。

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