『もう、飲まないからね』
そして飲む。
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> これがアル中なのだ!治療しよう! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
こちらは愉快な家族を紹介するコーナーです。
もう他界してるからね。大丈夫。
個人情報保護法も適応外。オチもない。
ということで今日は『アル中お母さんと私』の話よ。
さて、母が『がぶがぶ酒を摂取してるところ』は見たことがないが、父によると相当飲むらしい。
『お母さん、昔は一升瓶丸っと飲んでたことあるな』(by 父)
クソみてぇな武勇伝出してくるなよ…。
しかし、私はゴクゴクお母さんを見たことがなかった。
かわりに私が知っているのは、学校から帰って来ると彼女が『飲み過ぎて吐いて寝てる』姿。
基本、母は動けないので、イベントは発生しない。
自分や兄弟の夕ご飯を探したり、お弁当を買いに行ったり、タライを持ってくるなどのクエストをすればおk。
だが、現実はドラクエより奇なり。
たまに強制イベントが発生する。
無課金で引けるガチャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
私の姿が見えるや否や、
どうでも良いことを延々語りかけてくる。
(アル中怖いよ〜!)
掴みかかってきて押し問答になる。
(アル中怖いよ〜!!)
難易度MAXだと刃物投げてくるよ〜〜〜〜〜〜〜。
(アル中怖いよ〜〜〜〜!!!)
世の中にはいろんなタイプのやばい虐待があり、その残酷さはそれぞれ固有にヤバい。
うちの虐待タイプのヤバさの一つは(よく言われるところの)
『シラフの母との幸せな時間』が結構あるところ。
緩急つけて『甘えさせてくれる母親タイム』と『酔ってバグる母親タイム』が与えられるワケ。
そりゃ子供の情緒もバグる。
母は一般的な母親らしく、ちゃんと飯を食えとかちゃんと宿題をやれとか口うるさかったが、
一方で『ダイエット中だから油抜きで野菜炒め作ってくれ』とかいう思春期特有の訳のわからんわがままに付き合ってくれたりもした。私が母だったらめんどくてキレるし作らんぞ。
そう、酔ってさえなければ。
てか、結構わがままだな。
食べ盛りの兄弟が他に二人もいるのに、私のためだけに別で野菜炒め作るワケだからな。
そして、やりたいことは、もし私が言葉にさえできれば、無理のない範囲で色々とやらせてくれた。
女の子だから勉強しなくて良い、みたいなことも言わなかったし、
大学には「社会の役になんか立たないこと」を勉強しに行けと言ったし、
決して成績が良いとはいえない娘を無理やり学習塾にぶちこむこともなかった。
…それは多分、金がなかったからなのだが…。
だから私は『やりたいことをやる』とか『やりたいことを見つける』ということに関しては、そこそこ自分の気持ちに誠実でいられたし、自分の興味を追いかけられる性質を維持できたんだと思っている。
母に褒められ、自由に振る舞うことを許されたものは「能力」は私の中でちゃんと育った。
だが、しかし、母は定期的にバグる。
こうかはばつぐん、だったようで、当時の私の心は常にどこか憂鬱だった。
でも、憂鬱な気持ちが当たり前すぎて、自分が今、憂鬱なのかどうかを正しく認識できなかった。
写真で見る小・中学校の私には、ほとんど表情がなく暗い。
多分、ていうか確実に、辛かったんだと思う。
感情全般的に「感度低め」で生きることで、辛い気持ちで潰れないようやり過ごしていたんだろう。
かわいそうにの…。
そうやって、目を背けることでやり過ごした「感情を理解する能力」は私の中でずっと幼いまま、育つのをやめたのだった。
母は私が20代前半の時、突如死んだ。
母が死んだ時
『今日と、明日以降では、もう全く別の世界になってしまった。もう昨日までの世界には戻れない』と思った。
母が死ななくても昨日には戻れないけどな。
でもな、悲しみが和らぐに従って、ようやくわかってきたのは
「お母さんと一緒にいるの、マジ辛かったんだな」ってことだった。
アル中やべえな。
もし今からでも選べるなら、母が死なないことを迷わず選ぶ。
でも母が死んで『しんどかった私』と『今もう、しんどい目に遭ってない私』がいることに気がついた時、
よくわからないけど、とても感謝した。
母が死んだことに。
こんな悲しいことに感謝しなくて済む人はとても幸福は人だし、
なるべく多くの人がそういう羨ましい人生を送ってほしいと思う。
アル中ヤベェよな。
まぁ、アル中とうつ病併発してたから突然死んだんだけどな(←New!)
ちゃんと専門医にかかってても、死ぬ時は死ぬんだよね。
治療しててもね。
でも、無駄かどうかはわかんないから、病院は行こうね。
オチなし!