同じ業界内での転職をして思ってることをば。
現職に移って「欲しかったもの」をたくさん得た代わりに、前職にしかなかった「良さ」を失ってハッとさせられた。
お給料上げたかったし、仕事の幅も広げたかったし、色んなことにチャレンジできる環境が欲しかった。
その点では何の後悔もないんだけど、私は「一緒に働きたいと思える人がいるかどうか」が、かなり大事なんだと分かった。
研究をしていた時も「私は研究をしてるこの人たちが好きだから、この人たちとおしゃべりを続けるために、私も研究してたいな」とはっきり自覚していたんだけどな。
アカデミアを辞める時に「これまでのような「人」への期待はやめよう」と、きっぱりし過ぎてしまったからなのかもしれない。
「夢を追うのをやめたんだから」と、諦めをつけ過ぎて振り切れて、やり甲斐と給料がそこそこあれば満足するだろう、って自分をちょっと見限ってしまっていたのかもしれないな。
一方で、手に入ってから「それはもうある程度いいか(待遇とかやりたいこと)」と思った上での贅沢な悩み、ないものねだりのような気もしている。
現職と前職を抽象的に雑に振り返って思うこと
相対的に前職は会社の規模が大きく、その分、同じロールでなくても頼りにできるベテランがいたり、お互いが助け合うのが当たり前、みたいな風潮があった。声を上げれば助けてもくれるし、干渉される「幅」も気をつけていれば自分でコントロールできる感じがした。ただ、チャンスやできることの幅は狭くて、仕事はある程度細分化されて、決まっている。でも「チームで動く」良さを感じられるところだった。
現職は会社が小さいので、いる人でとにかく回すしかない。ので、いろんな仕事の機会が降ってくる、人の入れ替わりも激しい。助けを求めれば相手はしてくれるけど、本質的に問題が解決するとは限らず、本当に欲しい情報は「どこにあるのか」「どうすれば手に入るのか」を考えるところから自分でやる、みたいな感じ。「個」の集合、って感じなんだけど、失敗には寛容。個人的にはかなり強いプレッシャーで英語を使わざるを得ないのは気に入っている。
どっちの会社にいても、とーっても忙しいし、楽しいことも辛いことはそれなりにいっぱいある。
どっちの会社の人たちも、仕事をする上ですんごくジェントル(一定の頻度で「ヒエェ…怖…」な人はいる)。
なんだけど、私はどうしても、前職の人たちの「コミュニケーションに対する配慮」が好きだったな。
カスタマーフェーシングの仕事をしているので「人当たりの良さ」が気になってしょうがないのかもしれない。
そして、圧倒的な人当たりの良さは、時に「その瞬間はいいけど、本質的には仕事してなくない?」という批判を受ける事があるのも知っている。
そうなんだけどさ。
顧客にバリューを産んでこそ、という所は前提にあるとして「顧客対応しているその瞬間」「コミュニケーションをとっているその時間そのもの」が、なるべく良くあるように、って気をつけるの、今の私にはとっても大事なテーマなんだよな。
一緒に過ごしたその瞬間、は帰ってこないんだから、その一瞬を大事にできる、そういう気概がある人たちが、私が一緒に働きたいって思う人なのかな、と思った。