仕事は好きだし楽しいし、既にそうしてきたように、これからも人生の大部分の時間をどこかに所属して過ごすんだろう。
コミュニティに所属できる事が楽しいし、人と出会う事が生きがいっぽいから、生活やお金のためでなくても働きそう。
適度な緊張があって、適度な自己効用感が得られて、人と交流できて給料もらえるなんてラッキー。
なんて言えるのは、恵まれてるからではある。
運がいい話はともかくとして、研究をしていた頃は、研究そのものが自分の夢だったし生き甲斐だったから、ライフとワークは完全にくっついていた(よくない)。
けど今はそうではない。仕事にやりがいは感じるけど、命を切り刻むような働き方はもうしなくていいのよ。
そうなんだけど、じゃあ、ワークとライフをパキッと綺麗にわけて、折り合いをつけて我慢する時間と楽しい時間がある、というやり方も、なんか違うなと。
ライフの時間もワークの時間も二度と戻ってこない人生の一瞬なので、どちらかは我慢と緊張で、どちらかでリラックス、というふうには割り切れないなと思い始めた。
めっちゃ金を稼いでアーリーリタイアして全て「ライフ」で生きたいという話ではない。
刹那的な意味ではなくて、今しかないんだけどなぁ、みたいな気持ちで生きてる。
そうはいっても、今しかない「この時」に、よくわからん経費生産してるし、よくわからん謝罪やよくわからない調整・仲裁をするんだけどさ。
ところで、長崎の何でもないビジネスホテルのカップが可愛かった。
このカップでお茶を飲まないなんてもったいな、みたいな気持ちになったので、お茶を入れて飲んだ。
そういう瞬間の連続って感じなのが理想なんだろうな。
